五合庵にて。。小雨の中 足の震えが止まらず
適当に
流して見て下さい
どう考えても
私は 多分=人は生かされている
そんな風に 前から考えております
人生で そう語れる年になりました
よく生きて来られたなぁ 今も思う
何かに活かされていると 振り返ります
ある日に 会社に出ようとして直ぐに
バタリしました 近所の人が 連絡を
支社長が飛んできました 若い人です
とても素晴らしい人柄で 後に異例の
速さで登りました それは さておき
訪ねて来た彼を追い返しましたのです
彼は妻に連絡を取ったらしく妻と長男
が来ました 繰り返し説得されて近く
の病院に 今考えたら連絡網があった
のかと考えています 一緒に行き口頭
問診を ただし採血は済ませていて
私は入院はしない 大丈夫なんだから
2人の医師にはなしました 検査結果
が速報にてでたのか 顔色が変わった
のが解りました 長い問答で 解った
帰って良いですので 玄関にでたらば
救急車が待機して 2人の男に捕まり
私は有無を言わさずにタンカーに乗り
離れた大きな病院へ 待ち構えていた
職員から なにがなんだか 最中には
同意を求められて ハイといいました
その際に あなたは30分遅れていたら
間違いなく死んでいたのだから 解る
ただライトが眩しく 不思議な光景を
私が上から 正に私をみていたのです
緊急入院して 私の気性を理解したか
入院しても 余命は1ヶ月間だと思う
人気ある?病院なようで満員みたい
私の病室は重病者だらけでしたので
家も会社も兄姉も心の準備にはいる
隣は社長さん 向かいの窓側には
銀行の人 初日から 驚いたのです
向かいの人が唸っていたから 私が
ベルを鳴らしました 翌日に可愛ぃ
看護士さんに話たら この部屋はね
危ない人の病室なんです と小声で
あぁそうね 隣の仲良しの社長さん
は2度目ね入院らしく 小さな声で
話しますが シーンとしているから
3日目に 部下が来て 私は誰でも
良いから 仏教の 偉い人の本を
翌日 良寛さんの本を渡されました
だって 1ヶ月間の命なんだからね
良寛さん なんか 記憶あるけども
不思議に
なんでこれをと考えた これも縁なのか
この本を渡してくれた2人は 倒れる2日前に見舞に
別に病院はいかないが 何かへんだったので あと
風呂に3回4回 飼っている大量のメダカの掃除して
ぶらぶらが とにかく 異常事態なのは感じていた
2人とは仲良しで 日光に旅していましたので 特に
なんで良寛さんの本を 笑いながら パット開いて
その目にいた内容とは
災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候
災難をのがるる妙法にて候
今の私に ぴったりだと
直ぐに本を閉じて しばらく考え 決めた事がありました
1.生きられるのは1ヶ月ないのだから 出来るだけ笑う
2.どうせ死ぬ事から逃れられないと納得する事を認識する
3.途中で半日外出許可戴き 万を越えるメダカを川に逃す
4.ここが不思議ですが
退院したら=余命1ヶ月間なのに
5年後に 会社を辞める 2年間旅して贅沢三昧する
この先 長く生きられるのか不安なので きちんと
礼を尽くし離婚する 更に5年生きられたら新潟へ
お礼の為に良寛さんの足跡を 3年間通うと誓った
。。馬鹿でしょう
数日して 話をしない向かいの人が
貴方は変な人ですね 余命1ヶ月ないのに
なんで苦しい筈なのに 笑っていられるの
6人いる部屋がシーンとなりました 私は
そうね 当たり散らしても 怒っても宣告
された余命期間は 変わらないでしょうね
なら 笑うしかないでしょう 受け入れる
そう 仕方ないと私は考えて\(^o^)/るよ
隣の社長さんから 強い人なんだねだって
その2日後 私に聞いた人のベットな空に?
流石に震えました 先に知っていたのです
逝ったのを そんな重病の部屋に私がいた
誰もベットなくなった人の話をしないので
五人は覚悟しているんだ この中で 私は
一番手に旅立つことも なのに神様は順番
を狂わすのかと 良く笑えるねの意味には
死への怖さとか切なさ等があったと考える
尤も私は新入りで先に逝く身でありました
担当の先生は女医さん東○医学部卒でした
たまに ご回診があり 医院長ほか担当も
どうかね ときかれてもまさか あと少し
とも言えないし 何故か 元気いっぱいと
にこにこして頷いていました 最後に先生
がにこりと 私ね多分人と 考えが異なり
やはり変なのです 点滴で生きているんだ
絶対に食べられないと あれ逝くのは私ね
看護士さんが来る時間 私には多分ここは
3人しかいないな 避けてコンビニに行く
考えたのは 逝くんだから食べても 同じ
うんうん\(^o^)/ なんとか点滴をつけて
入口から お疲れ様です\(^o^)/と挨拶し
死ぬ思いで大量のチョコレート パン 他
パクパクしました 少ししたら 知られた
部屋の人が いや知らない筈です だれが
可愛ぃ看護士さんが異常に巡回してきます
ある夜 夜勤だったのか 顔に2-3滴の涙を
隣に座り込み話しました 生きて下さいと
何回かして 看護士さんは6大学でていて
父が早くに逝き それが頭から離れずに今に
看護士になろうとしたんだと だから生きて
解っていたんだと思います 多分布団開けて
ある日に あれっ? こんなところに菓子が
と渡しました こんな患者いなかったろうね
20日間経過した頃 あと10日間なのかと
先生に しんみり お願いしたのです
先生私は逝く身なのです 最後のお願い
じーっと 私を見て話しなさい 良いよ
趣味でメダカを大量に 育てています
ふんふん 衣装ケース等に いれていて
ふんふん 先にエサをやり川に逃したい
ふんふん 小さなメダカ含めたら桁違い
散歩さん 貴方は重病なんだよ理解してる
先生ね! 私が逝くは構いません せめて
生きてる メダカ達を助けたい最後の願い
しばらく 先生は考えて 私に解りました
良くなり ならば外出を認めるよう約束を
気のせいか先生が私に対して にこにこし
何かへんだなぁと 1ヶ月が過ぎましたが
生きています まぁ数日かなあぁ(´Д`)ハァ…
ある日に 先生から 外出して良いよ と
アパートに戻り 3時間かけて 川に放った
先生は私が逝くから 最後の言うことをと
感謝しながら涙ながれました誰にも会わず
病院にもどり 翌日からは 私にもご飯が
バナナが こんなに美味いとは 栄養もね
何時も巡回にて 医院長が 散歩さん 私ね
医師を長くやっているけど 間違いなく異例
誰も信じられない事が起きた 信じられない
次の先生からも説明出来ない事が起きました
私はポカンとして 最後に担当の先生からは
どうして 奇跡的な回復をしたの 教えてと
それは 先生だからです に にこりしてた
後で聞いたら あり得ない早さで免疫力が
高まり回復したらしい 笑ってばかりいて?
その後 その通りにし 新潟へ3年間
良寛さんの足跡をたどる旅にでました
そして 五合庵の前にたったら 足の
震えが止まりませんでした 良寛さん
の資料館?にては 館長さんがなにか
感じて話しかけられて 私は良寛さん
の 災難に逢う時節には。。の言葉に
覚悟が決まり 余命1ヶ月間が1ヶ月半
後に退院する事ができました 全ては
良寛さんの お陰様だと感じています
写真とかは駄目なのに 構いませんよ
出雲崎 分水 寺泊 長岡 新潟 他
新潟は素晴らしいね 湯沢も新潟だと
後から知りました 寺泊には感動した