私は市ヶ谷で何人かに囲まれ焦る
19歳前後? 営業の手伝いで 御茶ノ水へ
とにかく田舎者で どきどきしながら電車
乗り方が解らなく また聞き方も理解不能
バリケードと言うのか 大学は荒れていた
そんなのは理解出来ないから 不思議だと
更に下り取引先へ 大学生のアルバイトが
沢山いました なんだろうなぁと 都内は
凄い 一方では黙々と働いて 同じ大学生
高校もほとんど通っていなく 卒業式さえ
母は初めて泣きました 中学3年春に父が
倒れ 私は近くの高校に 私の判断でした
何人かのアルバイトさんと仲良くなり後日
1人から これって慶應と法政の通信教育
の案内を。。散歩さん 何時も明治の前に
しばらく立っていたと聞いていたから と
ニコリと笑いながら 大学に行きたいのね
見透かされ 法政に決めた 基礎がなくて
大変でした 途中 市ヶ谷にて試験があり
駄目だったなぁと その帰りにヘルメット
の人達に。とても恐かったのを 大学とは
何だか 2年で止めました 難しいもあり
何となく違うのが解ったみたい 嬉しいぃ
あと経理なので 意外と都合がつかなくて
翌日 大々的に新聞にでていました 唖然
危なかったなぁと 大学がヘルメットで?
通うのかと理解出来なかった私がいました
夏なら解るけど 寒いだろうに
何とかなるんだろうが 無理と判ったしね
あっ6大学で明治が優勝したのを覚えている
なんの為に大学に行くのか 不思議でした
たまたま明治しか見ていないけど何処もね
あの頃は まだ荒れてあたんでしょうって
解らないけど 22歳で転職したら そんな
雰囲気の人達がわんさかいました 驚いた